レモン哀歌

あなたはレモンを待っていた

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december 2

昨日はコビと一緒に晩御飯を食べて、いろいろとお話をしてたら昨日と今日の文章があるわけです。周りの人が変わったという話に彼女もその一人です。まだ風邪を引いていたようですが、会った時に既に「今日はご機嫌だな」と思えてきて、内諾の話を聞いて「ほほー」と納得が行きました。肝心な死の妄想をよくするのがまだ相変わらずだけれど、「最近は自律している」「自律=快楽」「好きなものを研究してて、だらだらと本を読んで、好きな人が一人いればそれでもう幸せ」という彼女の発言は一種の清々しさが感じられます。

未来の話は、必ず変わると思っていて、それで彼女の感覚もどんどん違う方向に変わっていくと私は確信していて、せめて世の中のことはいつまでも同じままでいることは誰でも保証できないと思います。それをするのは決して私の軽いアドバイスとか、狭い経験値からの人生譚とかではなく、それを現実がするものです。私がいなくても、絶対に他の何かが彼女の生活に現れて、そしていろいろなものを変えていくのでしょう。もともと私の介入には何の動機も理由もないから、私も理解しようとしないで、何かを捧げるつもりもなく、っていうかどうしてあの時におしゃべりして書店やブログなんかに誘ったんでしょうか。みんなにはみんなの現実があって、自分の現実を狙って生きていくこそ正しいですが、どうしても他所を見てしまう自分を注意したいけど時空の罠に陥ってしまいがちです。

で私はみんなの変化を傍観しつつ、自分が同じ場所に取り残されていくことを受け取ることしかできないもんですね。好きなものとか、できることとか、実はなんにもないんじゃありませんか。私が持っているものは、たったの「歴史」だけですよ。今の自分では歴史が作れないのです。私なら。

せっかく、やっとで生活が軌道に乗りましたが、こんな時にポストロックを聞いた自分が理解不能ですね。やはり音楽は人をシビらせやすいということですか。それともご自分が悲観な感情がお好きですか。いやいやいや。全然、そういうふうにじゃないんですから。私は元気ですよ。すごく。

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